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 防災セミナー1 産経新聞記事

自衛隊業務をより広く知ってもらう活動を続ける千葉県隊友会は23日、「大震災から学ぶ非常時への備え」と題して防災セミナーを行った。元陸上自衛隊の佐藤正久参院議員(自民)が、北朝鮮による長距離弾道ミサイル実験も含めた「危機」への対応について「根本は憲法にある」と述べ、国家非常事態条項を盛り込む憲法改正が必要だと強調した。熊谷俊人千葉市長も賛意を示した。

 千葉市中央区の千葉市文化センターで行われ、500人以上の聴衆で会場は満員となった。両氏のほか、陸上自衛隊第一空挺団(船橋市)の山之上哲郎団長がパネリストとなった。

 佐藤氏は北朝鮮のミサイル発射実験に関連、「平時の行政機構では危機に対応できない」と明言、「命を守ろうと思ったら警報は空振りでもいい」として地方自治体への通報が遅れた政府の対応を問題視した。

 震災への対応に関連して佐藤氏は「個人の権利よりも命を守れる仕組みを事前に作っておかなければ対応できない」と強調した。

 熊谷市長は震災時の対応を振り返りながら、災害時には首長が事例に即した対応をする必要があると指摘。今後に関しては自衛隊と連携して防災計画を見直していく考えを示した。

 熊谷市長はまた、事前に用意されたシナリオに基づいて防災訓練を行うのでなく、「想定外に反応していく訓練が必要だ」と述べ、山之上氏も同調した。

 山之上氏は、自衛隊と地方自治体の役割分担を整理し直す必要性があると問題提起した。その上で自衛隊員の充足率が低下している現状に危機感を表明した。佐藤氏もさらに隊員を減らそうとしている政府の対応を批判した。

 討論に先だって講演した火箱芳文前陸上幕僚長は震災への対応について「過酷な戦いだった。西と北をにらみながらやっていた」としてロシア、中国の軍事行動を警戒したものだったと示唆した。首都直下型地震への対応計画を早急にまとめる必要性を強調

 防災セミナー2 産経新聞記事

 東日本大震災で自衛隊の活動ぶりは称賛された。しかし、日本が国家として直面する根本的な問題によって「現場」にしわ寄せが起きている現状も浮き彫りになった。自衛隊の広報業務を支援する千葉県隊友会が23日に千葉市で行った講演会では、“指揮官”たちが「危機管理」に関する問題点や今後の取り組みを語り尽くした。その要旨を再録する。

 ■状況不明だった原発

 講演会の第1部は、前陸上幕僚長の火箱芳文氏が「自衛隊から見た東日本大震災の教訓」と題して講演した。陸上自衛隊は人命救助、捜索、復旧、輸送、生活支援などで約7万人を派遣、火箱氏はその指揮をとり、昨夏に勇退した。まず振り返ったのは福島第一原発事故だった。

 「3月12日、1号機が水素爆発した。このときは政府、東京電力のほうで多分何とかなるのではという認識だった。ところが14日午前11時に3号機で水素爆発が起きた。隊員の4人がけがした。(扉を)開けたとたんに爆発した。後で話を聞いて『よかったなあ。1秒違えば死ぬところだった』と言った」

「ここで原発は危険だという認識に至った。状況不明だった。とにかく冷やすんだということになった。最悪の事態、難しいホウ酸を投下ということまで考えていた」

 ■自ら国を守る

 「初の本格的な日米共同作戦だった。米国を本気にさせたのは日本の国民のみなさんの自制心、自衛隊の使命感や勇気、部隊としての組織力というものだった」

 「ここで考えておかなければいけないのは、自らの国は自ら守るという気持ちがあって初めて米軍は守るということ。本当によくやってくれた」

 「教訓としては、自衛隊が他省庁を統制できるわけでない。計画が具体的でなかった。防災の基本計画は首都直下型地震はまだない。東南海地震の連動型はない。自衛隊は研究しているが、早くやっておくべきだ」

 「地方公共団体は壊滅的な打撃を受けた。国がどのように支援するか。地方自治体同士がどう支援するか。一案として事前に協定を結んでおけばいい。司令塔がいなくてもやらざるを得ない」

■使命感の源泉は声援

 「強靭(きょうじん)な自衛隊を作っておかなくてはならない。機動力はまだまだ不十分だ。自衛隊の使命感の源泉は住民の声援だ。自衛隊に対して温かい声をかけてくれれば自衛隊は確たる矜持(きょうじ)を胸に黙々と任務を遂行する。そういう自衛隊でなくてはならない」

 「自衛隊の人員や装備を充実するような応援をお願いしたい。自らの命は自ら守るという自助の精神を身につけていただきたい。国家の防衛に向かってしっかり備えをしておけば、住民のみなさんを助けることができる」

  佐藤正久参議院議員ブログ

 千葉県隊友会主催の「防災セミナー」にお招きいただきました。



 入り口では東日本大震災における習志野空挺団の活躍を展示していました。
 こうして改めて見ると、重機の使えない所でマンパワーだけを頼りによく汗をかいてくれたと感謝の念がたえません。千葉市内も津波や液状化現象の被害が多々あります。
 私たちは昨年に起きた出来事を忘れたり、風化させたりせず、伝えていかなければなりません。
 隊友会、防衛協会女性部のみなさんも総出でお手伝いしてくださいました。いつもありがとうございます




 第1部は、東日本大震災時、陸上自衛隊の指揮を執った陸上幕僚長(当時)の火箱芳文氏の基調講演です。10万人体制で出動した苦労と、すべては被災者のためにという想い、そしてこれからの課題について現場で経験されたリアルなお話をされました。

 第2部は、熊谷俊人千葉市長、山之上哲郎第一空挺団長、佐藤正久が登壇し、軍事ジャーナリストの井上和彦氏の進行で軽快にディスカッションが進みました。




 千葉市長は、高校2年生のとき阪神淡路大震災を経験し、自衛隊の給水車にお世話になったと、自衛隊との身近なエピソードを教えてくれました。

 震災が起きてすぐ何をしたか。熊谷市長も、山之上団長も、非常時の命令系統を整え、通信手段を確保し、情報収集にあたりました。佐藤はそのとき鹿児島にいたのですが、国会事務所と電話がなかなかつながらないので、ツイッターを活用して秘書に指示、情報収集、国民にむけて情報発信をしました。




 さて、震災直後に原発に行き、現場を混乱させた総理大臣がいましたが、指揮官が現場に行くタイミングについて議論をしました。

 熊谷市長は「自治体は常に現場。情報を収集して判断するために2日間は動かなかった。その後、液状化が激しいという現場等を確認するために1〜2時間という時間を活用して現場を確認した」と基準をもっていました。
 山之上団長は「何のために現場に行くのか。指揮するためなのか、現場の士気を上げるためなのか明確でなければならない。指揮所を離れ、状況判断できなくなり、指揮ができなくなると部隊が混乱する」と言いました。
 佐藤は、災害の規模やレベルもあるが、あの災害では72時間は指揮官は現場に行くべきではないと考えます。なぜなら、72時間は人命救助に全力を注ぐべきであり、現場に任せるべきだと考えます。



 
 指揮官の役割はなにか、それぞれの立場での役割について考えました。

 熊谷市長は、3.11の夜に市庁舎を激励に回ったら、災害担当部署はバタバタと忙しいのに、隣の部署は何もすることなく待機しているだけという現場を見て「専門的に組織化されている平時の縦割り行政を、非常時の発想・組織に切り替えること」だと話されました。
 山之上団長は、「第一線の指揮官は与えられた任務を遂行すること。具体的に計画を立てること」「本部の指揮官は、これからおきるであろう事態にどう対応するか考え、第一線の部隊が活動しやすい環境を整えること」と話されました。
 佐藤も、震災後ずっと政府と対応策を議論してきましたが、役所は所掌事務があって仕事をするので、危機に対応できないことを痛感しています。自衛隊は「ミッションオリエンテッド」と言って、任務を遂行するために組織を動かしていきます。政治家、官僚にはこの発想が欠如しています。




これから取り組みについて、それぞれの立場での具体的な内容が語られました。

 熊谷市長は、「シナリオのあるイベント防災訓練を見直し、より実際的な訓練にする。子供も自分のことは自分で守る意識を高めるために日本初、子供のAED救命講座を実施。地域避難所運営委員会を設置し
利害調整も考えてもらう」施策を進めています。
 山之上団長は、「自衛隊にヒーローはいないし、ヒーローはいらない。最後の砦として訓練に励み、想定外だったとは言わせない」と、まさに命をかけた決意を語りました。
 佐藤は、政治家として、これらの教訓を政策に生かします。佐藤も元自衛官です。命を守ることに徹底的にこだわります。考えられないことを考え、想定の範囲を広げることで、もう想定外とは言わせません。

 ブログでご紹介した内容は、ごく一部を要約したものですが、熊谷市長も、山之上団長も、それぞれの場所で、それぞれの立場で、指揮官としてなすべきことを真剣に考えて行動していたことに共感を覚えました。
 主催していただいた千葉県隊友会のみなさん、ありがとうございました。