『備えの防人』 のブロンズ像   改装なる空挺館に花を添える

 3月11日の大地震で、黙々と使命を果たし、国民に安ど感を与えた自衛隊の姿に痛く感動された、千葉市に工房を構えるデザイン会社『イデア工房』会長がブロンズ像を作り、当時の陸上幕僚長にこの像を寄贈すると共に像の命名をお願いしました。
 各地で活躍をしている隊員は多いが、原発の放射能の脅威を背に受けながら人命救助活動に黙々と活躍した第1空挺団の隊員たちに思いを馳せた陸上幕僚長は、習志野駐屯地に設置し、
『備えの防人(ひと)』と命名し、此の像を見た隊員が『治にいて乱を忘れず、国防への備えを怠らず、使命遂行に邁進して』欲しいとの願いをこめ、空挺団員たちの修養の場である百周年を迎えた空挺館の傍に設立する事になりました。

由緒ある 空挺館 創立100年を祝う

 平成23年12月18日 陸自習志野駐屯地で空挺館(旧御馬見所)創立100周年記念行事が執り行われました。
 式典は改装の完了した空挺館前で、、第1空挺団長の空挺館の歴史紹介を含む挨拶、習志野自衛隊協力会長(習志野市長)、傘の会会長等のご来賓の祝辞、改装にご協力いただいた関係者に感謝状贈呈などが執り行われました。
 その後、空挺館が末永く愛される由緒ある建物になるよう祈念されテープカット、久寿玉割りとが行われました。

 この建物は、旧軍当時
『御馬見所(おんばけんじょ)』呼ばれ、明治44年11月に東京の目黒(現在の目黒区大橋町2丁目付近)に建てられ、旧陸軍騎兵学校の修業式等を明治、大正天皇陛下がこの建物から展覧された由緒ある建物です。
 明治天皇は騎兵に大変興味をもたれており、騎兵学校の修業式を必ずご覧になられたそうです。
 ある年、雨が降っている中行われた修業式に於いても傘をささずにご覧になっておられたので、その後雨に打たれないよう建てられたと言われております。
 大正5年12月、騎兵学校の移転に伴い目黒から解体して現在地(陸自習志野駐屯地)に移築されました。
 移築後は、『迎賓館』、『皇族館』、『皇族の居住施設』としても使用されておりました。
 終戦後約8年間、米軍に接収され、米軍の司令官が使用しておりました。
 その後、自衛隊が引き継ぎ、昭和37年『空挺館』と命名し『騎兵時代の資料』、『旧軍落下傘部隊の資料』、『第1空挺団の資料』を展示して、自衛官の『修養』に寄与してきました。
 此の地に移築されてから、建物の痛みが酷く、維持予算もなかったが、当時の空挺団長の努力と『傘の会(空挺出身者のOB会)』の皆さんからの修復義援金で修復をしてきました。それでも平成5年以降現在に至って建物の使用もままならない状況になり、関係者のご尽力で、大々的な修復を行うことができた。この度の修復では、目黒から現在地に移築するときには、白御影石で作られた柱や踏み石は重量物で移送されませんでしたが、習志野駐屯地に持ってきました。
 空挺館の修復改装に当たり、御影石の灯篭を池に配置するなどにして心字池の整備に使われ、往時をしのべるように配慮されました。
 山之上空挺団長は、この修復に多大な貢献をされた、関係会社の皆様に感謝状を贈られました。

左から 第1空挺団長兼駐屯地司令、傘の会会長、習志野自衛隊協力会長の皆様

感謝状を受けるイデア工房会長

心字池 

空挺館入口に掲げられた建物名

像の寄贈を受けた陸上幕僚長の挨拶

感謝状贈呈風景

改装なった空挺館全貌

除幕式風景