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     南極観測船「しらせ」

 
「宗谷」「ふじ」に続く三代目の南極観測船である「しらせ」は、1982年就役から活躍し、一昨年2008年4月で、その役目を終えることに成りました。引退後は、民間の気象情報会社「ウェザーニューズ」に売却することとなり今回千葉県船橋市の船橋港に係留されたのです。

 艦歴等

 南極観測支援は、1983年から2008年まで実施いたしました。

 性能諸元

 排水量 基準11,600トン

 全長    134m

 全幅    28m

 喫水    9.2m

 機関    デェーゼル6基、主電動機6基

       デェーゼルテレクトリック3軸推進 30,000馬力

 最大速度  19ノット

 航続距離  25,000M(15ノット)

 乗員    170名及び南極観測隊員60名

 搭載量   食糧50トン・燃料350トンその他600トン

 航空機   ヘリコプター3機

 建造    日本鋼管鶴見

 

艦名の由来

 一般的な認識として1912年(明治45年)に日本人として初の南極探検を行った白瀬 矗陸軍中尉に因んだ付けられたものと考えらえている。

 南極のイメージ「白」と、大量の水のイメージ「瀬」を合わせたものである。

 

活躍の状況

 3ノットで1.5m厚の氷を連続砕氷できる能力持っている海上自衛隊の砕氷艦(自衛艦の一つ)であり、乗員もすべて海上自衛官である。

 砕氷艦の特徴である幅の広い艦体であり、1本煙突である。氷海での監視用に、マスト上に見張りポストがある。貨物積み下ろし用のクレーンを前甲板に2基、後部に2基装備している。艦体の後部にヘリコプター甲板と格納庫を備えており、輸送用のS−61A 2機 観測用にOH−6D 1機を搭載している。昭和基地近くに接岸できればその位置から、ヘリコプターで荷物の輸送を行う、白夜であり、一日中ヘリコプターの輸送は大変である。

 乗組員居住区と観測隊員居住区は、調理室をはさんで分離されている。観測隊員居室は、基本的に2人部屋で、観測隊長室、同副隊長室は、個室である。

 このほか、4人部屋のオブザーバー室、研究室、ラジオゾンデ放送室がある。

 

 毎年11月中旬に、東京晴海埠頭を出港、オーストラリア・フリーマントル

港で1週間停泊の後、12月中旬から下旬に昭和基地に到着する。支援作業を行い。春に日本に帰港する。

 

お別れ

 25年間にわたり、南極観測隊員や物資を輸送、さらに野外観測や基地発展の作業支援等の業務を無事故で完遂し、国家事業である南極地域観測事業の発展に大きく貢献しました。

 「しらせ」は、「宗谷」「ふじ」に続く3代目の砕氷艦として58年就役以来、計25回におよぶ南極地域観測に従事し観測拠点の開設に大きな役割を果たしたほか、平成10年には厚い氷に阻まれた航行できなくなったオーストラリア

の観測船「オーロラ・オーストラリス」を救出。スペイン漁船の急病人を診察するなどの実績に大きく貢献した。

 これまでの25回の観測支援はでは、計90万キロを航行、生活物資や観測機材など約2万4000トン、観測隊員1400人を運び、日本の南極観測活動に大きく貢献した。

 

 この活躍に、皆さんは、賞賛贈り、今後は「しらせ」船体部分は払い下げられることとなり、2009年南極地域観測統合推進本部は「しらせ」を民間の気象情報会社「ウェザーニューズ」に売却すると、発表しました。

 素晴らしい活躍をしました。「しらせ」が近くに参りました是非見学をしてください。

 

 出典 ウィキペデア 朝雲ニュース

 

  

 

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